会社に入社した頃の撮影した写真
現在は、リサイクルという言葉も浸透し、世間では環境対策の一環として好意的に受け入れられている。しかし、ほんの十数年前までは、くず・鉄・紙を集めてお金に換える「くず屋さん」という目でしか見られていなかった。
2代目の藤城さんが父親の会社を継ぐために入社したのは16年前。27歳の時だ。世間からどのような目で見られているのか、それなりにわかっているつもりでいたのだが、実際に会社で働いてみると、その職場のありように驚いた。
くわえタバコで仕事をしている人がいた。手を汚したまま、洗おうともせず働き続ける人がいた。ヘルメットをかぶらずに仕事をしている人がほとんどだった。ただ、藤城さんは「仕方ない」と思った。世間から「くず屋さん」という目で見られているのに、それでも誇りを持って働けというほうが無理かもしれない。
彼らは、くわえタバコで仕事をしている。ヘルメットをかぶらずに仕事をしている。でも、人の嫌がる仕事を毎日けんめいにやってくれている。そんな彼らのために、経営者となる自分がしてあげられることは何だろう。
くず屋から脱却することだと思った。ここで働く一人ひとりが「誇り」を持ち、たとえ厳しい職場環境の中でも充実感を持って働ける会社にすることだと、藤城さんは考えた。
くず屋というイメージからの脱却と、3K職場からの変革。8年前、藤城さんは新しい取り組みに着手した。新しい工場の建設だった。
新工場は、まったく新しいコンセプトの工場と位置づけた。これまでのようにゴミを集めて処理するだけでなく、集めたゴミをもとに何かを生み出す「生産工場」にしようと決めたのだ。
「廃棄物を処理するだけでなく、そこで新しいものを生み出すようになれれば、社会的にも必ず認知されるはずだと思いました。会社がそういう方向へと舵を切っていけば、従業員も何のためにゴミを処理するのか、それがどう社会へと活かされていくのかが分かる。そうなれば、きっと仕事に誇りが持てるようになるのではと考えました」
2億円をかけた新工場「大川工場」は、それまでの日ざらしの職場ではなく、体育館のような造りにし、建物の中で仕事ができるようにした。雨の日も、風の強い日も、工場内で気持ち良く働けるようにしたかったからだ。また、大川工場では廃棄物の処理後にRPF(固形燃料)などを生産することにした。
日ざらしの職場から、屋根付きの職場へ。廃棄物の処理から、それにともなう生産機能を併せ持った会社へ。会社は日々変貌を遂げていく。いつしか、くわえタバコで作業をする者もいなくなり、みんながちゃんとヘルメットをかぶって仕事をするようになった。「お客様から預かった大切な廃棄物を、自分たちの手で新しいものへと生まれ変わらせる」。従業員の中にも、誇りと自覚が芽生えていった。
16年目は50名程度だった従業員は360名を超えた。2つだった工場は、東海地区に9つを数えるまでに拡大した。3年前から、新卒採用もできるようになり、若手の数も増え続けている。「リサイクルレディース」という女性の営業部隊も発足させた。
月1回「社内勉強会」を開き、課長以上の社員が集まり、全員に会社の「良いところ」と「悪いところ」を書いてもらい、さまざまなテーマについて議論を交わす。「社名入りのティッシュの次は、タオルを作って配ろうということになりました」と藤城さんは笑う。社員全員がアイデアを出し合い、会社をどうしていこうかを考えていく。もっといい会社に、もっと誇れる会社にしていこう、と。
会社は変わった。従業員たちの表情も変わった。それでも、まだまだ藤城さんの会社づくりは道半ばだ。先日もある工業団地への工場建設を断られた。「我々の業界は、生産地域へは入ることができないというルールがあるんです。かといって一般の家がある場所に工場をつくることも難しい。実際は、いまだにそんな状況なんです」。
この2月、地元の小学生たちが工場見学にやってきた。60人の小学4年生がリサイクルの現場を見て回った。「子どもが見学の様子を親に話してくれたらと。“リサイクルクリーンよかったよ!”そう伝えてくれるよう願いを込めてお招きしています(笑)」(藤城さん)
16年をかけて、できることから1歩ずつ変えてきた。これからは、志を同じくする従業員たちと、できることを1歩ずつやり遂げていく。社会で生活するすべての人たちに、気持ち良く受け入れてもらうことができる、新しい時代の“リサイクル”を実現するために。
株式会社リサイクルクリーン
〒431-3314 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣41番地
事業内容/産業廃棄物・一般廃棄物・資源回収・建築解体など
従業員数/360名 設立/1987年