枡(ます)のある家庭はどれくらいあるのだろう。今でも日常生活には「三合炊き」「一升びん」など、枡に由来する“量りの感覚”は浸透している。でも、肝心の枡自体は、その姿をほとんど見かけることができなくなってしまった。
それでも、「枡の復興」を目指して、今も小さな枡に向き合う若き経営者がいる。
岐阜県大垣市。大橋博行さん(44)は、日本一の枡生産地(全国シェア80%)である大垣の灯を守り続けようと、独自のアイデアと工夫をこらした「新時代の枡」を懸命につくり続けている。
ハイテクの華やかな世界から、
ローテクのものづくりへ。
大橋さんは、枡づくりを手がける大橋量器の三代目。大学卒業後は、大手コンピュータ会社に就職した。1987年のことだ。当時の日本はIT化の夜明け前。来るべき時代に向けての「最先端」で大橋さんは働くことになった。
夜中まで仕事をし、明け方まで同僚と酒を飲み、これからのことを語り合う。仕事は楽しかったし、面白かった。「継ぐこと」も頭になかったわけではない。子どもの頃から工場で働く両親の姿を見て育ってきた。何となく「将来は自分がやることになるのだ」と思っていた。でも、今はこの生活を続けていたい、会社を辞めたくないと思っていた。
27歳のとき、大橋さんは結婚をする。父に突きつけられた。「身を固めるのなら戻れ」。2年間、迷った。でも、両親の苦労を間近で見てきた大橋さんは、最後は腹をくくった。父の後を継ぐために戻ってきたのは、29歳のときだった。
あれは、出社した初日のことだ。工場の外で、年配の職人が火をくべて当たっている姿が目に入った。寂しさを感じた。ハイテクからローテクへ。スーツから作業服へ。最先端の華やかな世界から、地味なものづくりの世界へ。何もかもが変わってしまうのだと思った。
ただ、感傷に浸っている余裕はなかった。父から聞いていた以上に、経営状態は悪かった。一刻も早く手を打たなければ、つぶれてしまうかもしれない。
枡の新しい可能性のためなら、
たった1個の注文でも断らない。
全国各地の酒造メーカーへ営業に出向いた。営業先で言われた。「この品質では……」。当時は、1万個のうち3千個に不良品が出ているような状況だった。「枡だから漏れるのは当たり前だ」。父は昔ながらの気質でものづくりを続けていた。
なんとか品質を改良できないかと試行錯誤した。自ら作業台に立ち、職人とコミュニケーションを取りながら、少しずつ軌道修正を続けた。同時に、枡をこれまでとは違う流通ルートにのせ、もっと多くの業界で使ってもらうことはできないかとも考えた。酒造メーカーとだけ取引きしていても、売上げは良くて横ばい、枡の需要を考えれば、そのうち尻すぼみになってくるのは目に見えている。
偶然に妻が購入したひとつの雑貨。その商品タグに記されていた電話番号に、大橋さんは電話を掛けてみた。「どんな枡でもつくれます。お話させていただけませんか」。
顧客のニーズに答えていく中で、新しい発想が次々に生まれてきた。「八角形」の枡、携帯ストラップ、枡の時計にはオーダーメイドで文字を入れることもできる。
サンプルを持参して、東京にある婦人雑貨店に足を運んだ。店主は大橋さんに提案をしてくれた。「“塗り”の枡はできますか?」。塗りはやったことがない。それでも、大橋さんはその提案を引き受けることにした。
挑戦するしか道は残されていないのだ。大橋さんは“塗り”に挑んだ。試作品は好評だった。一気に大量の注文がきた。しかし、その大量の注文をさばける仕組みや設備がなかった。設備投資できるほどの余裕は、今の会社にはない。結局、その挑戦は断念せざるを得なくなった。
ただ、反応はあった。これまで枡とは関係がないと思っていた業界の人に、興味を持ってもらうことができたのだ。大量注文に応じることは難しくても、「特注」として小ロットなら受けることができる。
それ以降、大橋さんは「こんなものはできないか」という要望に対しては、たった1個の注文でも断らずに受け続けた。「真四角ではなく、八角形の枡はできないか」「もっと小さなサイズの枡をつくことはできるか」……どんな注文にも必死に答えた。いつしか工場の中には、さまざまな姿かたちをした枡が並ぶようになっていた。
時代に合わせて少しずつ姿を変えながら、
伝統は受け継がれていく。
今、蒔いた種は、少しずつビジネスとして芽吹きつつある。
枡のストラップ、枡の時計、コースター、灰皿、六角形や八角形の枡……その形と、木の風合いを生かした枡は、雑貨やインテリアとして注目を集めるように。また「枡=増す」として、縁起物としての人気を得るようにもなっていった。「合格します!」と名づけられた五角形の枡は、もちろん合格祈願に。「どんどんきます」は、商売繁盛のアイテムとして飲食店などから注文が舞い込む。
年間約250万個の枡を生産する大垣市。地元の枡製造企業5社と共同で「ます」の統一ロゴを作成し、地域ブランド化を目指す。2年前、工場の隣にオープンさせた店舗は、情報発信の役割も果たしている。
経営は今でも苦しい。それでも、こうして情報発信を続け、枡の存在を、大橋量器という企業の存在を知らしめていけば、いつか花を咲かせることができるのではないかと、大橋さんは考えている。
昔からの枡の概念からは外れてはいるかもしれないが、伝統とは、こうしてその時代に合わせて、少しずつ姿を変えながら受け継がれていくものではないか。歴史と文化が途絶えてしまわないように。
ある春の祭りの日。大橋さんは、工場のシャッターを開け、家族全員でオリジナルの枡を売った。たくさんの人が「へえー、こんな枡があるんだ!」と喜んでくれた。その笑顔を見て大橋さんは思う。「まだ、枡は生きていける」。
大垣の日本一の枡をもっと知ってもらいたい。「今度はどんな枡をつくってみようか」。工場の外、くべた火に当たりながら、大橋さんは考え続ける。
有限会社大橋量器
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